
ネタニヤフは、本当に終わるのか
結果をひとことで言うと――「誰も勝てなかった」選挙です。
中東に暮らす私が、素人の方にも分かるように、ここから何が起きるのかを解きほぐします。
カイロの私の朝は、たいてい中東のニュースから始まります。
私はエジプトのニューカイロに住み、ドバイやトビリシ、ラゴスのオフィスを行き来しながら、投資の仕事をしています。イスラエルは、エジプトのすぐお隣です。日本の方にとっては「遠い国の、むずかしい選挙」かもしれません。でも私にとっては、国境の向こう側の出来事。石油の値段、スエズ運河、地域全体の空気に、じかに効いてくる話です。
先日のイスラエルの選挙を、日本のニュースは「混戦」「過半数割れ」と短く伝えただけでした。でも、この「決まらなかった」という結果こそが、実はいちばん読み解く価値があると私は考えています。
今日は、むずかしい用語をできるだけかみ砕いて、この一本で「イスラエルで何が起きたのか」「ネタニヤフはどうなるのか」「次の首相は」「イランとの戦争は」、そして「それが日本に住む私たちの資産にどう関わるのか」まで、まとめてお話しします。
まず、選挙で何が起きたのか
10月27日、イスラエルで国会議員を選ぶ総選挙がありました。議席は全部で120。政権を握る――つまり首相を出して政治を動かすには、過半数の61議席が必要です。
結果は、大きく三つのかたまりに分かれました。数字で見てみましょう。
53+48+19で、ちょうど120。
おわかりでしょうか。
ネタニヤフ陣営が一番大きい。けれど、過半数には届いていない。
かといって、反ネタニヤフの野党もまったく足りない。
つまり「一番強いのはネタニヤフ。でも、誰も勝っていない」という、いちばんやっかいな結果になったのです。
ネタニヤフはどうなるのか
ベンヤミン・ネタニヤフ氏。愛称「ビビ」。イスラエル史上もっとも長く首相を務めてきた、まさに中東政治の主(ぬし)のような人です。多くの人が「今回こそ終わりだろう」と見ていました。ガザやレバノン、そしてイランとの戦争で国民は疲れきり、この選挙は事実上「ネタニヤフの信任投票」と言われていたからです。
では、負けたのか。
いいえ。これが、負けていないのです。
彼の陣営は53議席で、相変わらず最大勢力。第1党の座も守りました。本人は選挙後、「アラブ系政党が票を盗んだ」「外国の干渉があった」とまで主張しています。※この主張には今のところ証拠は示されておらず、選挙管理委員会も確認できないとしています。それでも、こうして「負けを認めない」姿勢そのものが、彼のしぶとさを物語っていると私は見ています。
さらに、ネタニヤフ氏にはもう一つ、個人的な事情があります。汚職裁判です。
ネタニヤフ氏は収賄・詐欺・背任の罪に問われ、2020年から裁判が続いています。現職の首相が被告席に座るのは、イスラエル史上はじめてのこと。まだ判決は出ていません。彼は罪を認めないまま、大統領に「恩赦(おんしゃ=罪を赦してもらうこと)」を願い出ました。アメリカのトランプ大統領までが「恩赦してやれ」とイスラエル大統領に圧力をかけている、という異例の展開です。ただ、大統領は今のところ判断を保留し、「まず裁判の決着を」と慎重な構えを崩していません。
首相の座を失えば、この裁判が一気に重くのしかかる。だからこそ彼は、たとえ過半数に届かなくても、あらゆる手を使って政権に残ろうとするでしょう。私は、ネタニヤフはそう簡単には消えないと見ています。
この中途半端さが、これから何か月もイスラエルを揺らします。
次の首相は、誰になるのか
では、ネタニヤフに代わる人は出てくるのか。
名前は挙がっています。筆頭は、ガディ・アイゼンコット氏。元・軍の参謀総長、つまり国の軍隊のトップだった人物で、今回は新党を率いて野党第一党になりました。彼は「ネタニヤフの下では絶対に組まない」と明言しています。
ところが、ここで最初の算数の問題が立ちはだかります。
反ネタニヤフの野党は48議席。過半数の61には、13議席足りません。足せる相手は、③のアラブ系政党19しかいない。48+19なら67で、過半数を超えます。計算上は、政権をつくれるのです。
でも――ここが中東の難しさです。
野党の多くは、「アラブ系政党とは一緒に政権を組まない」と公言しています。長年の対立や国内世論を考えると、手を組むのは政治的に重い決断だからです。前向きなのは、ごく一部のリベラル政党だけ。
この先どうなるか。大きく三つの道があります。むずかしく考えず、ざっくりで十分です。
ひとつ。ネタニヤフが、どこかの党を1つ2つ引き抜いて、ぎりぎり過半数を作り、しぶとく続投する。
ふたつ。野党がなんとかまとまり、「ネタニヤフだけは外す」政権を作る。ただしアラブ系の協力という高いハードルがある。
みっつ。どちらもまとまらず、また選挙をやり直す。イスラエルはこの数年、選挙を繰り返してきた「選挙疲れ」の国でもあります。
最終的な組閣の指名権を持つのは、イツハク・ヘルツォグ大統領です。結果の確定は11月初旬。そこから、何週間、場合によっては何か月もの駆け引きが始まります。正直に申し上げると、現時点で「次の首相はこの人です」と言い切れる人は、誰もいません。私の見立ては、当分は「決まらない」状態が続く、です。
イランとの戦争は、どうなるのか
そして、この選挙の背景には、もう一つの大きな影があります。イランとの戦争です。
話を整理します。2026年2月末、イスラエルとアメリカがイランを大規模に空爆し、イランの最高指導者ハメネイ師までが命を落としました。イランは報復のミサイルとドローンを撃ち込み、さらにホルムズ海峡を封鎖しました。
その後、停戦と戦闘再開が何度も繰り返されました。4月に一度停戦、6月に覚書、しかし7月にまた崩れる。10月末の今は、大規模な空爆こそ止まっているものの、ホルムズ海峡では今月もタンカーの爆発が相次ぎ、まったく安心できる状況ではありません。カタールが仲介に入り、アメリカは空母を増派し、「11月のアメリカ中間選挙のあと、再び大きな作戦があるのでは」との見方も出ています。
核の問題も、くすぶったままです。イランには原爆の材料になりうる高濃縮ウランが大量に残っているとされ、2月末以降、国際機関の査察官は中に入れていません。「核を先に片づけろ」というアメリカと、「まず経済封鎖を解け」というイラン。この順番をめぐって、話し合いは平行線です。
ここで、今回の選挙とつながります。
戦争を続けてきたのはネタニヤフ政権です。もし彼が続投すれば、イランへの強硬姿勢は変わらないでしょう。もし政権が代われば、戦争の進め方も変わるかもしれない。イスラエルの「決まらない政治」は、そのまま「イラン戦争がどう転ぶか分からない」ことを意味します。不安定な政治と、不安定な戦争。この二つが、今まさに中東で重なっているのです。
遠い国の話ではありません
ここまで読んでくださって、「で、これが日本に住む自分と、どう関係するの?」と思っていませんか。
大いに、関係します。
中東が揺れると、まず石油が動きます。ホルムズ海峡が不安定になるたび、原油価格は神経質に跳ねます。石油が上がれば、日本のガソリン、電気、物流、食品――ほぼすべての値段に効いてきます。私たちは石油のほとんどを中東から買っている国です。遠い中東の選挙や戦争は、回り回って、日本の家計に届くのです。
そしてもう一つ。世界が不安になると、お金は「安全なところ」へ逃げます。その代表が金(ゴールド)であり、基軸通貨のドルです。中東が荒れるたびに金の価格が意識されるのは、このためです。私自身、金の現物にかかわる仕事もしており、世界の不安と金の値動きのつながりは、肌で感じています。
では、日本円はどうでしょうか。
円は「安全資産」と呼ばれた時代もありました。けれど今、世界の投資家が本当の有事に逃げ込む先として、まっさきに円を選ぶでしょうか。私は、そうは思えません。
遠い中東のニュースを見て、「こわいね」で終わらせるのは、もったいないと思うのです。本当にこわいのは、世界がこれだけ揺れているのに、自分の資産がぜんぶ「円」という一つのカゴに乗ったままであること。カゴが一つなら、そのカゴが揺れたとき、逃げ場がありません。
だからこそ私は、円だけに頼りきるのではなく、外貨や、海外の資産、そして金のような実物資産へと、少しずつでも分けて持っておくこと――この「分散」こそが、こういう時代の守りの基本だと確信しています。もちろん、海外投資にも金にも値動きのリスクはあります。どれか一つに賭けるのではなく、カゴを複数に分けておく。その発想が、揺れる世界では効いてくるのです。
イスラエルの「決まらない選挙」を、どうか他人事にしないでください。
世界は、思っているよりずっと、つながっています。
