Vol.1906:ドバイを出た富裕層はどこへ──なぜ「30万ユーロ課税」のイタリアに世界のマネーが向かうのか

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埜嵜 雅治

執筆者埜嵜 雅治

Meti Lux Partners 
代表取締役CEO

MLP INVESTOR COLUMN|Italy / UAE

Vol.1906:ドバイを出た富裕層はどこへ
──なぜ「30万ユーロ課税」のイタリアに世界のマネーが向かうのか

「所得税ゼロ」を求めてドバイに集まった富裕層が、いま静かに”次の受け皿”を探し始めている。有力候補の一つがイタリア。税率の高いG7国が、なぜ世界のプライベートマネーを引き寄せるのか。税制と地政学の両面から構造を解説する。

読了時間
約8分
対象読者
資産の地政学的分散・海外移住を検討する富裕層/経営者
この記事で分かること
ドバイ富裕層の移動先としてイタリアが選ばれる税制・地政学の構造と、日本の投資家が読むべき論点

ドバイは「勝ち続けてきた」──だが、前提が変わった

まず、動かしがたい事実から確認したい。過去10年間、世界の富裕層を最も多く惹きつけてきた場所はドバイ、すなわちUAE(アラブ首長国連邦)である。英調査会社Henley & Partnersの「Private Wealth Migration Report 2025」によれば、2025年に国境を越えて移住する百万長者は世界で約14万2,000人と過去最多。そのうちUAEは純増+9,800人で、米国(+7,500人)を上回り世界首位とされる。所得税ゼロ、ゴールデンビザ、地理的優位性──この組み合わせが「富裕層マグネット」の地位を支えてきた。

ところが、その前提の一つが2025年以降、明らかに揺らいだ。地政学的な安全性である。2025年6月のイスラエル・イランによる「12日間戦争」に続き、2026年に入るとホルムズ海峡をめぐる緊張が本格的な危機へと発展した。

ホルムズ海峡の重み
戦前は世界の海上原油貿易の約25%、LNGの約20%が通過する要衝。危機下では商業航行が一時9割超減少したと報じられた。
本土に及んだリスク
UAEはアブダビ上空で弾道ミサイルを迎撃。落下した破片で死者が出たと報じられ、「安全なオアシス」というブランドが初めて実質的に問われた。
供給インフラの脆弱性
地域全体で原油生産が一時的に大きく削減されたとされ、UAE政府はホルムズ海峡に依存しない新たな輸出インフラの整備を進めているとされる。

誤解のないよう強調しておきたい。これは「富裕層がドバイから逃げ出した」という話ではない。前述の通り、流入データ自体は2025年時点でUAEが依然として世界首位である。正確に言えば、超富裕層の思考が「一箇所への集中」から「複数拠点への分散」へと移り始めた、ということだ。そして分散の行き先として、意外にも税率の高い先進国──イタリアが浮上している。

富裕層がいま求めているのは「税率の低さ」ではない。
「予測可能性」と「地政学的な保険」である。

なぜ”今”イタリアなのか①:税率ゼロより「予測可能性」

ドバイの最大の魅力は所得税ゼロだった。しかしその構造は、この数年で静かに変質している。UAEは2023年6月から法人税9%を導入し、事業実体(サブスタンス)の要求も強化された。個人の相続に関する成文法の枠組みも、大陸法圏の投資家から見れば依然として不透明感が残る。「ゼロ」は魅力的だが、「制度が若く、変わりうる」という不確実性と表裏一体だった。

対するイタリアが用意したのが、通称「フラットタックス(新規居住者向け特別税制/TUIR第24条の2)」だ。制度設計の思想がドバイとは根本的に異なる。

フラットタックスの推移(新規居住者)
2017年:年10万ユーロ → 2024年8月:20万ユーロ → 2026年1月:30万ユーロ(2026年度予算法/2025年12月30日官報公示)。家族は1人あたり2.5万→5万ユーロ。適用は最長15年。
カバー範囲
配当・利子・ロイヤリティ・海外不動産・暗号資産・事業利益など、あらゆる外国源泉所得を金額にかかわらず固定額で完結。海外資産の申告(RW様式)も不要。
富裕層が最も重視する一点
この制度下では、国外資産に対するイタリアの相続税・贈与税が免除されるとされる。世界的に相続対策の選択肢が狭まるなか、これは資産承継を考える層にとって極めて大きい。

ポイントは金額の絶対水準ではない。30万ユーロは決して安くない。重要なのは「いくら稼いでも固定額で、外国資産の相続・贈与税まで含めて予測可能」という設計思想だ。しかもイタリア政府は過去2回の引き上げのいずれでも、既存の適用者には旧税率を維持する「グランドファザリング」を徹底してきた。つまり「一度入れば、契約は途中で反故にされない」という制度への信頼が積み上がっている。ドバイの「ゼロだが若い制度」と、イタリアの「高いが読める制度」──富裕層の一部が後者を選び始めた理由はここにある。

なぜ”今”イタリアなのか②:地政学という”見えない配当”

二つ目の理由が、まさに今回のテーマの核心である。イタリアはG7・EU・NATOの加盟国だ。法の支配、独立した司法、シェンゲン圏内の移動の自由──これらは平時には当たり前すぎて意識されないが、ホルムズ海峡に隣接する地域の緊張が高まった今、「戦争リスクの低い先進国に居住権を持つこと」自体が一種の保険として再評価されている。

その入口となるのが、2017年に導入されたイタリアの投資家ビザ(Investor Visa for Italy)である。EU域外の投資家が、以下のいずれかの投資でイタリアの居住権を取得できる。

投資家ビザの4つの選択肢
・革新的スタートアップへの投資:25万ユーロ
・イタリア企業の株式:50万ユーロ
・イタリア国債(2年保有):200万ユーロ
・慈善寄付:100万ユーロ
押さえておくべき制度の性格
ポルトガルやギリシャと異なり、不動産購入では取得できない点に注意。委員会審査は原則30日以内。ロシア・ベラルーシ国籍者は2023年7月以降、EU勧告に基づき停止されている。10年の居住で市民権申請の道も開ける。

つまりイタリアは、「予測可能な税制(フラットタックス)」と「地政学的に安定した居住権(投資家ビザ)」を一つのパッケージとして提示している。ドバイが提供する”税率ゼロ”に対し、イタリアが提供するのは”読める税制+安全な先進国のパスポート的地位”。富裕層が資産防衛の局面で後者に価値を見出すのは、決して不合理ではない。

「富裕層がイタリアに殺到」は本当か──数字の分母を見る

ここで、MLPのコラムとして最も強調したい視点を述べる。ブームの数字は、鵜呑みにしてはならない。

Henleyの2025年報告は、イタリアへの富裕層純増を+3,600人と公表した。だが同じ報告を引用しながら、一部メディアは+2,200人と報じており、数字には既にブレがある。さらに、イタリアの富裕層向けフラットタックスの新規申請者は、2017年の導入から2022年までの累計で約2,730人、好調な年でも年間1,000人規模というのが実態に近い。つまり「年+3,600人がイタリアに移住」という数字は、フラットタックス申請の実績とは必ずしも整合しない。過大評価の可能性は率直に指摘しておくべきだ。

加えて重要なのは、Henleyの2025年データは2025年6月時点の予測であり、2026年に本格化したホルムズ危機以降の実際の資金移動は、まだ公式統計に反映されていないという点だ。「戦争後に富裕層がイタリアへ大移動した」と断定できる一次データは、現時点では確認できない。速報的な観測はあっても、投資判断に足る検証済みの数値はこれからである。

それでも、方向性そのものは本物だと私たちは見ている。数の多寡ではなく、「税率ゼロの新興ハブ一極集中」から「税制が読める安定先進国への分散」へという構造変化。イタリアはその象徴的な受け皿であり、規模を割り引いても、この潮流を読む価値は十分にある。

日本の投資家が読み解くべき3つの論点

論点1:金額のハードルは高い
固定30万ユーロ(約5,000万円前後)を毎年支払っても割に合うのは、外国源泉所得が年1億円を大きく超えるようなクラス。万人向けの制度ではなく、対象は明確に絞られている。
論点2:フラットタックスの”外”は高税率国
イタリア源泉の所得は通常の累進課税(最高税率は高水準)。あくまで「外国源泉所得の器」としての制度であり、居住実態や要件を外れれば恩恵は消える。出口設計が不可欠。
論点3:母国(日本)側の課税は別問題
日本の居住者判定、出国税、CRSによる情報交換など、移住元の課税関係は移住先の制度とは独立して残る。「向こうが免除」でも「日本側でどうか」は必ず別に検証する必要がある。

結論として、イタリアは「税率が低いから」選ばれているのではない。「予測可能で、地政学的に安全で、資産承継まで設計できるから」選ばれている。ドバイ一択だった富裕層の地図が、多極化し始めた──その最初の兆候として、この動きは押さえておく価値がある。

⚠ 注意
本記事はイタリアの税制・在留制度を「租税回避」として推奨するものではありません。フラットタックスや投資家ビザは、居住実態・保有期間・要件充足を前提とした合法的な制度であり、適用可否・出口戦略・日本側の課税関係は、必ず現地および国内の税務・法務専門家のレビューを受けたうえで判断してください。制度は改正が続いており(直近も2026年に税率が改定)、最新の一次情報の確認が不可欠です。
💡 投資家視点
判断基準を「安いか」から「読めるか・分散になっているか」へ切り替える。税率ゼロの一極集中は、地政学リスクが顕在化した瞬間に脆さを露呈します。イタリアの事例が示すのは、”高くても予測可能な制度”が、超富裕層にとっては十分に合理的な選択肢になりうるという事実です。重要なのは移住先の是非ではなく、自分のポートフォリオに「地政学の分散」という視点が組み込まれているかどうかです。
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なぜ世界の富裕層は相続税を払わなくてもよいのか──本記事の「相続・贈与税免除」の背景を動画で。

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出典

・Henley & Partners「Private Wealth Migration Report 2025」(2025年6月)
・PwC Tax Summaries「Italy – Individual – Taxes on personal income」(2026年更新)
・IMI Daily / Outbound Investment Group「Italy Raises Its Flat Tax to €300,000」(2026年1月)
・イタリア2026年度予算法(Law No.199、2025年12月30日官報公示)/Law Decree 113/2024
・Get Golden Visa/Arletti Partners「Italy Golden Visa 2026」(投資家ビザ投資額・要件)
・Bloomberg / Britannica「2026 Iran war・Strait of Hormuz」関連報道(2026年)
・Sebastian Sauerborn「Millionaire Migration 2025」(数値の妥当性に関する批判的検証)

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