
Meti Lux Partners
Investor Column
Global Investment & Advisory | 為替・マクロ・資産戦略
〇この記事を読むのに必要な時間は約7分です。 執筆者 埜嵜 雅治/Meti Lux Partners 代表取締役CEO
前回のVol.1848では、エジプトポンド高の裏に「円の弱さ」という力が重なっていることに触れました。今回はその「円そのもの」に焦点を当てます。2026年、円は名目レートだけでなく、物価を加味した実質的な購買力という総合指標で、統計開始以来の最低水準に沈みました。なぜここまで弱くなったのか、円だけを持ち続けることがなぜリスクになりうるのか、そして何を考えればよいのかを、最新データとともに投資家の視点で整理します。
目次
出発点 ── 円は今、世界の中でどの位置にいるのか
「気づけば、ドルでもユーロでも、新興国通貨に対してさえ円が安くなっている」——投資家の方からそうした実感をうかがう機会が、ここ数年で明らかに増えました。これは気のせいではありません。ドル円は2026年に入って一時1ドル=160円台半ばまで下落し、足元でも160円前後という高い水準で推移しています。
さらに重要なのは、対ドルという一通貨だけの話ではないという点です。国際決済銀行(BIS)が公表する「実質実効為替レート」——複数の通貨に対する為替を貿易額で加重平均し、各国の物価差まで反映させた、いわば通貨の総合的な実力を測る指標——で見ると、円は2026年3月時点で66.33(2020年=100)となり、統計が始まった約56年前の水準を初めて下回りました。名目の160円という数字以上に、この「実力ベースの最低更新」こそが、いま起きていることの本質です。
数字で見る「円の実力」 ── 名目と実質のギャップ
円の実質実効レートは1995年に最高値を記録した後、長期的に下落を続けてきました。足元の水準は、そのピーク時のおよそ3分の1にまで沈んでいます。これは「1ドル=何円か」という店頭の数字には表れにくい、もうひとつの円安です。
AT A GLANCE ── 円の「実力」を示す数字(概算)
| 指標 | 水準 | 意味するもの |
|---|---|---|
| 実質実効レート(2026年3月) | 約66(2020=100) | 統計開始(約56年前)以来の最低を更新 |
| 1995年ピーク比 | およそ 1/3 | 対外的な購買力が大きく目減り |
| ドル円(足元) | 約160円 | 過去2年のレンジ上限(約140〜161円)に近い |
| 日銀の政策金利 | 1%前後(段階的に引き上げ中) | 主要中銀の中では依然として最低水準 |
つまり円安には、画面に映る「名目レートの円安」と、海外との物価差で進む「実質ベースの円安」という二層があります。前者は金利差などで明日にも反転しうる循環的な動きですが、後者はより根が深く、私たちの海外での購買力そのものを静かに削っていきます。
弱さの正体① ── 縮まらない金利差
第一の、そして最も語られる要因が日米をはじめとする金利差です。日銀は2024年以降、長く続いたマイナス金利を脱して段階的な利上げに転じましたが、その水準は主要中央銀行の中で依然として最も低い部類にあります。一方で米国の金利は緩やかな低下局面にあるとはいえ、なお日本を大きく上回っています。
この差が、いわゆる「円キャリー」を生みます。低金利の円を借りて高金利の通貨・資産で運用すれば、その金利差が利益になる——この取引が世界規模で積み上がるかぎり、円には恒常的な売り圧力がかかり続けます。日銀の利上げが進めば差は縮みますが、急ピッチの利上げは国内景気や財政負担への影響が懸念されるため、差が一気に埋まるシナリオは描きにくいのが現状です。
弱さの正体② ── 物価が上がらなかった30年
金利差は循環的な要因ですが、実質実効レートの長期低下を説明するのは、より構造的な事情です。1990年代以降、日本は長く低インフレ・デフレが続き、物価がほとんど上がりませんでした。その間、海外では物価も賃金も着実に上昇していきました。
結果として、同じ「円」で買える海外の財・サービスは年々少なくなっていきます。よく挙げられる例えが、東京で1,000円のランチが、いまや海外の主要都市では2,000円・3,000円に相当するという感覚です。これは為替レートが動いていなくても進む目減りであり、海外旅行が割高に感じられる一方で、訪日客にとって日本が「安い国」に映る現象の正体でもあります。物価が安い国では賃金も相対的に低くとどまりやすく、円建ての資産・所得だけに頼ることの意味を、改めて問い直す局面に入っています。
⚪ 円安を支える三つの力
- 金利差(循環的):低金利の円を売る「キャリー」が世界規模で継続
- 物価差(構造的):長期の低インフレで対外購買力が静かに低下
- 需給(構造的):貿易・デジタル・対外投資をめぐる恒常的な円売り
弱さの正体③ ── 構造的な「円売り」の需給
三つ目は、為替市場における円の需給そのものの変化です。かつて日本は巨額の貿易黒字で円が買われる国でした。しかしエネルギーや食料を輸入に依存する構造のもと、資源価格が上がる局面では輸入代金の支払い(=円売り・外貨買い)が膨らみ、貿易収支が円安要因に傾きやすくなっています。
加えて、クラウドや広告、サブスクリプションといった海外デジタルサービスへの支払い、いわゆる「デジタル赤字」も年々拡大しています。日本企業や個人がこれらに支払うたびに円が売られ、ドル等が買われる。こうした日常的・恒常的なフローが、相場の地合いとして円を下押しし続けているのです。これらは一過性のニュースではなく、日本経済の構造に根ざした流れである点が重要です。
円で持ち続けることが、なぜリスクになるのか
ここで強調したいのは、「円を持つこと=危険」という単純な話ではない、ということです。問題は円だけに偏っていること、すなわち通貨の集中です。資産のほぼすべてを円建ての預金・保険・国内資産で保有している場合、それは無意識のうちに「円が他通貨に対して下がらない方に賭けている」状態に等しくなります。
「何もしていない」つもりでも、円一辺倒で持つこと自体が、実は大きなポジションを取っているのと同じだ——この視点が抜け落ちがちです。前回のVol.1848で見たように、円は新興国通貨に対してさえ目減りする局面がありました。生活コストの多くを円で支払う日本居住者にとって、資産まで円に集中させると、円安・国内インフレ・金利という同じリスクに二重で晒されることになります。
💡 投資家への示唆
円建て資産しか持たないことは、「円が下がらない」という見通しに全額を賭けているのと変わりません。海外資産・外貨建て資産を一定割合組み入れることは、強気の投機ではなく、むしろ賭けの片寄りをならす「守りの分散」として捉えるのが実務的です。では、どう構えるか ── 通貨と国を分散する
結論を一言でいえば、「円か外貨か」の二択ではなく、円も含めて複数の通貨・複数の国に資産を散らすという発想です。具体的な手立ては人によって異なりますが、考え方の軸はいくつかに整理できます。外貨建ての金融資産(株式・債券・預金)を持つこと、成長率や金利の局面が日本と異なる新興国の資産にアクセスすること、そして居住国とは別の国に銀行口座や法人といった「器」を用意して通貨の置き場を分けておくこと——これらはいずれも、ひとつの通貨・ひとつの国に資産が縛られる状態を緩める方向に働きます。
ただし、分散は万能ではありません。外貨建て資産には、円高に振れた局面での為替差損や、投資先国のカントリーリスク(政治・規制・流動性)が必ず伴います。日銀の利上げが想定以上に進めば円が反発する可能性もあり、円安が一方通行で続く前提を置くのは禁物です。だからこそ、「いつ・いくら・どの通貨に」を一度に決め打ちするのではなく、時間も対象も分けて少しずつ進める姿勢が現実的だと、弊社は考えています。
⚠ 見落としてはいけないリスク
- 日銀の利上げ・為替介入による円の反発(外貨建て資産の評価が目減りする局面)
- 投資先国のカントリーリスク(政治・規制変更・送金規制・流動性)
- 新興国通貨そのもののボラティリティ
- 「分散したつもり」が実は同じドル資産への集中になっている、という落とし穴
最後の問いは「円は上がるか下がるか」ではなく、
「自分の資産が、ひとつの通貨に偏りすぎていないか」——
ここに尽きると、弊社は考えております。
結び ── 「動かさない」こともひとつの選択である
円が世界の中でここまで弱くなった背景には、金利という循環的な力と、物価・需給という構造的な力が重なっています。前者はいずれ反転しうる一方、後者は日本経済の足取りそのものを映しており、短期間で大きく変わるものではありません。
「円で持ち続ける」ことは、安全な現状維持に見えて、実は円という一通貨にすべてを委ねる積極的な選択でもあります。為替を当てにいくのではなく、どの通貨が上下しても致命傷を負わない構えをつくる——一過性のニュースとしてではなく、ご自身の資産戦略の文脈で、この円安を捉えていただければ幸いです。
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主な参照情報源:国際決済銀行(BIS、実質実効為替レート)、日本銀行、ニッセイ基礎研究所、各種為替データ(Trading Economics/Investing.com 等)ほか公開情報(2026年の公表データに基づく)。為替レートは概算であり、執筆時点の市場データに基づきます。本コラムは一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の通貨・金融商品の取得や投資を勧誘するものではありません。
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